"ネオンの川が絶え間なく流れる街。高層ビルの窓明かりが、空の星を隠してしまう夜。レンは、人波に逆らうように一人、とぼとぼと歩いていた。今日もまた、終わらない仕事とため息で一日が終わる。彼の心は、コンクリートのように冷たく固まっていた。"
"まぶしい光から逃れるように、レンは細い路地裏へ足を踏み入れた。そこは、街の喧騒が嘘のように届かない、静かな闇が広がっていた。壁を伝う雨水と、遠くで鳴るサイレンの音だけが響いている。"
"路地の突き当たり、古びたレンガの壁に、小さな看板が灯っていた。『月の裏側』。壁の隙間からは、温かい光と、心地よいジャズの音色が漏れていた。レンは、まるで魔法に引き寄せられるように、重い木のドアにそっと手をかけた。"
"店の中は、時間の流れが止まったようだった。カウンターの向こうで、白髪のバーテンダーが静かにグラスを磨いている。客はまばらで、誰もが自分の時間を楽しんでいる。レンは一番隅の席に腰を下ろした。"
"「お疲れでしょう」。バーテンダーは、何も言わずに青いカクテルを差し出した。グラスの底には、小さな銀色の粒が星のように瞬いている。「夜空のカケラです」と、彼は小さく微笑んだ。"
"レンはカクテルを一口飲んだ。すると、忘れていた感覚が胸の奥から蘇ってきた。画用紙の匂い、絵の具の鮮やかさ、夢中で何かを創り出していた、あの頃の自分。いつから忘れてしまっていたのだろう。"
"ふと、レンは壁にかけられた一枚の絵に目が留まった。それは、この街の夜景を描いたものだった。しかし、ただの夜景ではない。無数のネオンの光が、まるで生きているかのように、力強く輝いていた。"
"「昔、あなたのような若者が描いていったんですよ」。バーテンダーの声は、とても優しかった。「彼は言っていました。この街の光は、迷子の星屑が集まってできているんだ、とね」。"
"レンはもう一度、絵を見た。ネオンの光は、ただの明かりではなかった。それは、この街で生きる人々の、小さな笑いや涙、願いや希望の集まりだった。そして自分も、その光のひとつなのだと、レンは気づいた。"
"店を出ると、夜の空気が少しだけ暖かく感じられた。見上げた街のネオンは、もう冷たくない。それは、数えきれないほどの物語を灯す、温かい希望の光に見えた。明日、小さなスケッチブックを買って帰ろう。レンは、確かな一歩を踏み出した。"
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